ベテラン俳優里見浩太朗の歩み

2016年に80歳となる俳優、里見浩太朗は静岡県の富士宮市出身です。
しかし生まれは東京都の渋谷区道玄坂であり、少年時代に静岡県に引越しています。
俳優デビューした当時は芸名が鏡小五郎であったり富士川一夫と名乗ることがありました。

その後1970年より現在の芸名である里見浩太朗となっていきます。
芸能事務所は自ら社長を務めており、芸歴が半世紀を越えても人気が高い時代劇を中心に活躍する俳優です。
身長も高く、173センチと大柄です。

父親は19歳で志願して近衛兵になっていき、帝国陸軍に転属していきます。
その後秋葉原でパン屋を営んでいた母親と結婚し、里見浩太朗が誕生します。
生後8か月になると盧溝橋事件が発生し、父親は中国で戦没してしまいます。

そのため静岡県富士宮市にあった母親の実家を頼り育っていくことになります。
生活がどうしても苦しく、母が縫い物を行って家計を支えていたというエピソードも、後にテレビ番組で話しています。
中学に入学するとテニス部へ所属し、高校では音楽部に所属します。

そして高校を卒業する間近で歌番組に出場し、見事合格を果たすのでした。
後に里見浩太朗はコンサートのMCなどで歌番組に合格したのが、芸能界の原点と話しています。
さらに料理も上手で、様々な番組で腕をふるっています。

俳優デビューから現在まで

1956年に芸能事務所に合格してから、俳優人生が開始します。
その翌年に本格的に俳優デビューしていきますが、1958年に映画で初主演を務めていきます。
主題歌も担当しており、ここから歌手としてもデビューしていきます。

主に映画やドラマでは時代劇をメインに出演しており、その立ち回りなどで人気を集めていくことになります。
1970年には芸名が里見浩太郎となっていましたが、ここから里見浩太朗に改名していきます。
日本映画斜陽ともいわれている状況でしたが、ここからメインで活躍する場をテレビへと移していきます。

テレビでも時代劇が積極的に撮影しており、ドラマへの出演を続けていきました。
俳優として実力をつけていきながら、大型時代劇で主演を務めたり、現在でも人気が高いドラマなどに出演をしています。

1971年には水戸黄門の第3部に出演しますが、ここで人気を不動のものへと変えていきます。
約16年間担当した後でバトンタッチしますが、その後数々の主演作などを経て、2002年に再び黄門役として復帰することとなります。

そして最終回となった2011年まで担当しますが、主演だけでなく脇役も務めた唯一の俳優となったのです。
その後もドラマに出演する機会は多く、時には悪役も演じるほど幅が広い俳優です。
高齢となった現在でも、活躍の場を広げていくことでしょう。