1970年代に活躍したアイドル

ピンクレディーは1970年代に活躍したアイドルであり、ミーとケイの2人の女性によるユニットです。
2人とも静岡県静岡市葵区出身であり、1976年から1981年まで活動し、その後はソロとして活動しています。

デビュー曲はペッパー警部であり、ミリオンセラーとなり、デビュー間もなく一躍有名となり、アイドルへの道を進みます。
第二弾シングルSOS、第三弾シングルカルメン77もオリコン1位を記録するヒットとなり、
その後も渚のシンドバッド、ウォンテッド、UFOと出す曲がミリオンセラーを記録していきます。

1978年の第20回日本レコード大賞では、レコード大賞を受賞し、ポップ系の曲が受賞するのは初めてであり、先駆けとなります。
その後もサウスポー、モンスターと曲を出し、これもミリオンセラーを記録し、1977年から1978年の2年間に出した曲はどれもミリオンセラーとなります。
この当時は少し早くデビューしていた、キャンディーズと比較されることも多かったです。

・解散まで

そして1978年には紅白歌合戦への出場をあえて辞退し、ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!に出演します。
ただこれによりマスコミのバッシングや事務所とのトラブルがあり、その後に出した曲は次第に売れなくなっていきます。
ただそれまでにアメリカ進出を果たしており、全米デビュー曲の「Kiss In The Dark」がビルボード37位を記録し、自らの名前を使用した番組も持ちますが、アメリカでの契約更新はなく、そのまま帰国します。
そうして、1980年に解散発表、1981年に解散し、その後はそれぞれソロの道を歩みます。

デビューについて

幼稚園の頃から歌手になりたかったというケイこと増田恵子さんは、大好きな担任の先生に歌が上手いと褒められ、歌手になるとそのときに決意します。
合唱コンクールでの入賞経験もありましたが、高校1年生の時にヤマハのオーディションを受けて、ボーカルスクールに所属します。

しかし高校3年生になってもデビューの話はなく、焦る気持ちでフジテレビの「キミこそスターだ!」に応募しますが落選します。
そこで日本テレビの「スター誕生」に応募し、田舎の女の子という路線でいくと、見事合格します。

1976年にデビューとなり、デビューするととても忙しく、静岡になかなか戻る事は出来ず、1日12~15件ほどの仕事をこなします。
一番忙しい時期であり、1日の睡眠時間は3時間ほどしかなかったようですが、当時は若いからこそ、そして相棒のミイこと未唯さんがいたからこそ出来た思うと語っています。
そうしてデビューから数々のヒット曲を連発していき、激動の2年間を進んでいきました。